学生時代、大学卒業後の進路を考えたときに、自分のやりたいことって、なかなか見つかりませんよね。
なかなか見つからないし、そもそも自分が何をやりたいのかわかりません。
逆に、自分のやりたいことが、はっきりわかってる人がうらやましいです。
そんなときにやっと見つかったやりたい仕事が、自動車教習所指導員でした。
やっとやりたい仕事が見つかったのに、親に反対され、諦めてしまって後悔したという話です。
自動車教習所指導員を目指したのは人が苦手な自分でもできそうと思ったから
教習所指導員を目指したきっかけは、なんとなくカッコイイと思ったから。
助手席からハンドル操作するのを見てスゴイと思いました。
それもありますが、なによりも
「こんなに横柄な態度でも成り立つ仕事だったら、自分でもできるだろう」
と思ったのが大きかったです。
当時の教習所指導員は横柄で感じの悪い人が多かった。
教習所に通っていたころ、当たった指導員は、感じのよい人もいましたが感じの悪い人もいました。
感じの良い人と悪い人の割合は半々くらいだったでしょうか。
感じの悪い指導員が半分もいたら多いほうだと思います。
こんな態度でいいのなら、人を相手にするのが苦手な自分にもできるかも。
というか、 自分ならもう少しマシな応対ができるのではないか。
そう思ったからです。
今は褒める指導員ばかりらしいですが。
自動車教習所でアルバイト
新聞の折り込み求人広告に、通っていた教習所のアルバイト募集がありました。
今までやったアルバイトの中で、この教習所のアルバイトがいちばん長く続いたアルバイトでした。
いくつかアルバイトをしましたが、どれも1ヶ月程度と長続きしませんでした。
ところが、教習所のアルバイトは1年続いたので、自分に合っているのかなと思ったのも教習所指導員になろうと思った理由のひとつでした。
そのままバイト先の教習所に就職するつもりでしたが、「ここだけはやめとけ」と何人もの指導員に言われました。
「ここより○○教習所がいい」と他の教習所のことを薦められました。
なので、アルバイトをしていた教習所には就職せず、就職活動をする名目でアルバイトも辞めました。
自動車教習所に就職しようとしたら親に全力で阻止された
リクルートから定期的に送られてきた就職情報誌の冊子に、アルバイト先の教習所指導員が「ここはよい」と言っていた教習所が載っていました。
その教習所に会社訪問しました。
会社訪問したとき担当した教習所の人はものすごくウェルカム状態でしたが、親がものすごく嫌がりました。
父「もっと長くやれる仕事をやれ」
母「実績がないとダメなんじゃないのか」
そもそも初めから実績のある人なんていないだろう。
長くやれる仕事てなに?
と口答えすることもできず。
訪問した教習所から家に電話がかかってきたとき、断れと全力で阻止されました。
反対を押し切るほどの勇気も気力もなく、このとき教習所指導員への道は絶たれたのでした。
と同時にすっかり目標を見失ってしまいました。
どうせ辞めるなら…と後悔
新卒で入った会社は8年で辞めました。
初めから行きたくない業界のやりたくない仕事だったので。
8年は長く居すぎたと思いますが。
どうせ辞めるなら、やりたいと思ったことをやってから辞めてもよかったんじゃないかと後悔しています。